他者や作中のキャラクタを指して「男性表象(のひと)/女性表象(のひと)」と言う用例を、SNS で時々見かける。先日もたまたまそういう話題を目にした。
また、デモの参加者について「女性が多かった」と言われたことについて、「ミスジェンダリングだからやめてほしい」という意見が出ていたのも見た。
そのあたりのことについて、僕の考えをメモしておく。
「男性表象/女性表象」
他者を指して「男性表象(のひと)/女性表象(のひと)」って言う場合、「表象」をつけることによって何が期待されてるのかがよく分からない。
「男性表象/女性表象」は、もともと「男性」や「女性」を描いたり表現したりするその〈描かれ方〉や〈表現の仕方〉を批判的に扱う際に使われることばであるはず。
たとえば、作品の中で「男性/女性」がどのように表象されているかに着目することで、その時代の社会規範やジェンダーステレオタイプが明らかになる、といったような。
(そもそもこの理解が間違ってる可能性ある。間違ってたら教えて!)
だから使い方が間違っているよね、みたいなことを言いたいのではない、もちろん。
専門的な用語が一般化されていくにあたって、意味が拡大されて変化していくのはよくあることだ。
ただ、存在に対して「男性表象(のひと)/女性表象(のひと)」って言う場合、その存在を「男性/女性」と見なしているのと変わらないんじゃないのかな。
それはつまり、「男性/女性」と呼ぶのと同じ効果を持っている(あるいは、同じ効果しか持っていない)んじゃないのかな。
というのが僕の考え方。
「参加者は女性が多かった」
「参加者には女性が多かった」というのはミスジェンダリングだからやめてほしい、という意見に対して「集団に対して『女性が多かった』と言う場合は割合の話で個人に対する話ではないため、ミスジェンダリングではない」といった類いの擁護があった。
僕はこの擁護には同意できないなぁ、と思っている。
その場にいるひとを、見た目の印象で「女性」と判断して括った上で「多い」と言ったのだから、それはまず、その場の多くのひとに対して「見た目で性別を判断」したってことだよね。
しかもそこには多くのひとがいたわけだから、勝手に「女性」と判断された(つまりミスジェンダリングされた)ひともいたはずだ、って考えたほうがいいよね。
もちろん、ここには「女性」と判断されなかったほうのミスジェンダリングも当然含まれると思う。
その場に該当者はいないだろう、という思い込みもまた、アグレッションだもんね。
ってことはやっぱり、ミスジェンダリングを含む発言ではあるし、他の言い方を検討したほうがいいと思う。
個人的な話をすれば、僕はこれまでの人生における様々な場面で「当然◯性だろう」という扱いを受け続けてきた。
「◯性がいて安心した!」と言われたこともある。
だから、自分を含む集団に対して「女性が多かった」という判断がなされた場合、僕はおそらく「◯性」のほうに数えられたのだろうと考えるし、それは僕自身にとってとてもつらいことでもある。
仮に、誰かにとっての「安心」の材料だったとしても。